『 東高二十年の思い出から 』 その2 「楽しかった」修学旅行・断想 (後編) ( 創立三十周年記念誌 「 あこがれやまぬ こころいだいて 」 から転掲 )
第3期生の時に、1期生の中(当時大学生)から七人を選んで、各クラスに一人ずつ先輩としてついて貰うことが始った。先輩には、我々教員の手助けの役割も期待したが、主に活躍して貰うのは夜のHR研修の場だと思った。生徒同士、先生と生徒に加えて、先輩と生徒という関係で、話しあいが更にもりあがることを考えたわけである。また、始めの何回かは、養護の先生のつかない班のために、何人か病院の看護婦さんの同行をお願いしていたが、看護学校に進んだ生徒が卒業する年次の頃から、看護婦さんも先輩から選び、彼女らにも夜の研修等に積極的に参加してもらうようになって、話しあいは、さらに熱を帯びたと思う。
私がクラス担任として、生徒を引率したのは3回。(1期、3期、7期)だけだが、今もすぐ思い出されるのは、やはり昼の風景よりも、夜の生徒との語りあい、キャンプファイヤーの火のかがやきの中での、生徒の演(だ)しもの(白浪五人男はたしか1期)、旅館でのリクリェーション(金色夜叉はたしか3期)など……何のことはない、私も生徒たちと一緒になって語ったり、遊びたかったのが本当のところであったかも。
その後、細野が俗化してきて、宿泊する場所が変わったようだが、それにしても基本的には、同じスタイルの修学旅行が、30回近く延々と続いてきたということは、立案者の一人として、もって瞑すべきだと思っています。
静岡東高旧職員 寺部昭夫 (文責:永野達弘)